歴史・文化
険しい地形とご先祖様
井川は周囲を険しい山々に囲まれた土地です。
そのため外部との交流が少なく、たくさんの種類の在来野菜が残っているなどエピソードには事欠きません。
さらに井川内でも、川向いの集落同士でご先祖様のルーツが異なることもあり、長野側は諏訪神社を通じて諏訪信仰との結びつきが強く。山梨側は採金・金山技術(武田氏関連?)にかかわる伝承が多く残されるなど、一言で「井川の文化」とまとめることはできない奥深さがあります。
※参考文献:静岡県教育員会編集「田代・小河内の民俗」
焼畑
井川では、古くから焼畑により食料生産を行っていました。
焼畑は、焼き払った植物が肥料になるほか、土壌の中和や雑草・病害虫の抑制などを行うことができます。また休閑期を設けることで植生や地力の回復を行うため、自然を破壊しつくさずに、恵みをわけてもらえる農耕様式でした。
井川の場合は、火入れから3年程耕作した後、20~30年の休閑期を経て、再度の火入れを行うサイクルでした。昭和40年まで、井川各所で焼畑が行われており、現在でも祭礼用をメインに焼畑が行われています。
※参考文献:松本繁樹著 「焼畑雑考」
在来作物
四方を山に囲まれ交通の便が悪かった井川では、品種改良を免れ、代々受け継がれてきた在来作物があります。
この写真の在来作物はほんの一部で、「コウボウキビ」、「井川大蒜」、「井川オランド」(じゃがいも)、「井川ナス」などが写っています。
収量が少なく、井川内でもなかなか食べる機会に恵まれませんが、食べるとまた食べたくなるおいしい野菜です。
在来作物に興味がある方はこちら(外部サイト)をご覧ください。
井川神楽
井川神楽の起源ははっきりしませんが、江戸時代の初期頃からと言われています。昔から当地に伝承したものと、明治・大正の頃、安倍川流域、川根地方、藁科方面から取り入れたもので構成されています。
確認できる一番古い記録は1617年のもので、400年余りの歴史があり、17の演目が伝承されています。
現在も、井川内の祭事では舞が奉納されているほか、静岡市内のイベント等にも出張するなど、多くの人たちが協力しながら保存活動を行っています。