22年目 総務課課長
森林整備の叩き上げから、総務課まで
林業と井川に来るまで
静岡市出身で、中学生の頃から宮大工などの木に関わる仕事に興味があり、大学では建築について勉強をしていました。
しかしいざ就活となると、宮大工への憧れと将来の安定性の間で気持ちが揺れ動いてなかなか仕事を決まられずにいました。
その時、当時国が実施していた6ヶ月間の林業体験制度を知り、「地元で木を伐ってみたい、将来はそれから考えよう」と決意して、飛び込んだのが林業や井川との始まりです。
林業体験期間
体験期間の始まりは、先輩たちが使う燃料と機械類、弁当を背負って現場に行くことが仕事でした。
その後は伐採した丸太を担いで運び出したり、丸太をとがめて杭をつくったりしてチェーンソーに慣れる作業。
慣れた頃合いに、初めての伐倒。直径15センチくらいで、今でも当時の映像が記憶に残っています。
体験期間も終わりに近づくと、まだやれなかった作業もしたい、もっと深く林業にかかわりたいと思い就職を選択しました。
森林整備の作業員として
当時は親方がいて、門弟として学びながら働く形式でした。
地拵えから植栽、下刈り、間伐まで一通りの保育作業を学ばせてもらっただけでなく、タラの芽採り、ふきぬき、わらびおり、椎茸栽培、舞茸採りなどの山遊びも教えてもらいました。
休日は地域の行事や祭りやイベントに参加し、徐々に地域の人にも顔を覚えてもらえるようになり、地元住民として受け入れてもらえていることに、嬉しさ感じていました。
森林整備の職員として
組合で働き始めて7年目くらいの頃、職員になるか?という話がありました。当時はエクセルも怪しいレベルでしたが、井川に骨をうずめたい、結婚したいなど人生の岐路でもあり、一念発起して職員になることを選びました。
職員になり、数年たつと国の政策が変わり、間伐材を有効利用する動きが盛んになりました。井川でも搬出間伐の現場が増えて、搬出用の作業道開設、搬出間伐、運搬などの現場作業はもちろん、所有者交渉や書類作成などの内務も同時進行で取り組みました。
その中でも、いつか来る皆伐のことを考え、先を見越した線形と維持管理のかかりにくい道づくり、今後の成長を考慮した選木などをしたうえで、所有者へ還元できた時は、経験しないと味わえないだろう達成感がありました。
急転、総務課へ
搬出間伐の現場に数年も向き合っていくと、経験値があがり、自然と技術もついていきました。何をやったからという訳でなく、すべてのことに興味を持ち、取り組んで行った結果かなと思っています。あとは皆伐事業を経験したい、そんな思いでした。
そんな時、総務課の職員が突然退職することになりました。総務課がいなくなったら組合がやばいのではないか、職員の中に総務が務まる人物がいるのかと、何か勝手な危機感を覚えてしまい、勢いで総務課に志願してしまいました。
総務課として
総務は事業課職員になった時よりも、未知の世界でした。
とりあえず、簿記の本を熟読して、損益計算書?賃貸対照表?売掛?買掛?わからない単語ばかり、、、
一つ一つ理解しながら、過去の伝票・過去の資料を基に、日々の業務をこなすだけで精一杯という状況でした。
そんな日々を2年も過ごすと、大まかな流れも分かり、事業課同様にやりがいもある。
例えば、購買の修理。「明日使いたいんだけど直せるかな?」と組合員さんが機械修理にもってくる。その場、その日のうちに直して渡したとき、助かったや~と喜んで貰えるととやっぱり嬉しくなります。
これから
総務課はよくみんなの女房役と言われます。
事業課の時のようにリーダーシップを発揮して、事業を進めていくのとは違い、小さいことでも人の役にたつことをする。最近は、こちらの方が自分にあっているかもしれないとも感じています。
総務課の仕事は、とても責任のある仕事で、プレッシャー等に押しつぶされそうになることもあります。
そんな時は井川にきて山仕事・人生についても教わり育ててくれた親方たちから学んだ「なんでも一生懸命取り組む」。
このことで、これから起こるであろう困難にも立ち向かって壁を一つ一つ乗り越えていき成長出来たらと、思う今日この頃です。